「衣食足りて礼節を知る」は、経営者や子育て中の方にも大切な言葉です

そもそも、「衣食足りて礼節を知る」とは

「衣食足りて礼節を知る」とは、管仲の言行録である「管子」の牧民篇に出てくる

凡有地牧民者、務在四時、守在倉廩。
國多財、則遠者來、地辟舉、則民留處。
倉廩實則知禮節、衣食足則知榮辱。

凡そ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り、守り倉廩に在り。
国に財多ければ、則ち遠き者来きたり、地、辟挙すれば、則ち民、留処す。
倉廩実て則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。

に由来します。

この意味は…
国を治める者は、いつも気を引き締めて国を治め、国を豊かにし続けなければならない。
国が豊かになれば、自然に人が集まってきて、そして、そこが住みやすいところであれば人々はそこに留まって生活を続ける。
人々は、豊かになれば、自然に礼儀や節度をわきまえるようになり、生活が整うと名誉や恥辱をわきまえるようになる。
(だから、国を治める者は、気を引き締めて国を治めていかなければならない。)

当然と言えば当然ですが、管仲は、人間というものをよく知っていたということですよね。

生きることに必死であれば、礼節や栄辱を知る余裕がありません

論語にも「衣食足りて礼節を知る」と同じような一節があります

子適衛、冉有僕。
子曰、庶矣哉。
冉有曰、既庶矣。叉何加焉。
曰、富之。
曰、既富矣。叉何加焉。
曰、教之。

子、衛に適く、冉有僕たり。
子日く、庶きかな。
冉有日く、既に庶し。又何をか加えん。
日く、之を富さん。
曰く、既に富り。又何か加えん。
日く、之を教ん。

この意味は…
孔子が衛という国を訪れたとき、冉有が同行していた。
孔子が「人口が多いね」とおっしゃった。
冉有は「そうですね。すでに人口が多い国ではさらに何をしますか」と言った。
孔子は「人々を豊かにする」とおっしゃった。
冉有は「 すでに人々が豊かであればさらに何をしますか」と言った。
孔子は「人々を教育する」とおっしゃった。

孔子は、行動規範や道徳を広く説いた人であり、この教育は行動規範や道徳の教育を意味しますが、孔子も、教育をする前にまず豊かにすると言っています。

孔子も人間というものをよく理解していたということですね。

マズローも欲求5段階説で「衣食足りて礼節を知る」と同じようなことを言っています

マズローの欲求5段階説とは
人間の欲求は…

  1. 自己実現欲求
  2. 尊厳欲求(承認欲求)
  3. 社会的欲求(帰属欲求)
  4. 安全欲求
  5. 生理的欲求

の5段階のピラミッドのようになっていて、低い階層の欲求が満たされると、より高いの階層の欲求を欲するようになるというものです。

「生理的欲求」「安全欲求」のような低い階層の欲求が満たされなければ、「社会的欲求(帰属欲求)」や「尊厳欲求(承認欲求)」のような高い階層の欲求を求めないということです。

つまり、人々を豊かにすることや安心した生活ができる(生理的欲求や安全欲求を満たす)ようにしなければ、人々は礼節や栄辱を知ろう(社会的欲求や尊厳欲求を満たそう)とはしないということですね。

そして、その後に自己実現をしようとする。

このことは人としての真理と言えるのではないでしょうか…

では、そもそも、どうやって「倉廩実る」「衣食足りる」ようにすればいいのか…

管子や論語にはその具体的な方法についてまでは事細かく書いていないはずです

管子や論語は、普遍的な道理や方向性を指し示すものなんですよね。

というか、具体的な方法を事細かに書くことは、非常に難しく、おそらくできないと思います。

なぜなら、「倉廩実る」「衣食足りる」ための具体的方法は、時代によっても、土地によって、人によっても、状況によっても、それぞれ異なります。

それをすべて書くことはできません。

できるわけがないんです。

「倉廩実る」「衣食足りる」ための具体的方法は、100人いれば100通りありますし、同じ人でも時期や状況によって異なります

普遍的な考え方はありますが、それぞれの状況に合った具体的方法を追及すればするほど、「倉廩実る」「衣食足りる」ための方法は一定ではないということですよね。

だから、具体的な方法を書くことができるわけがありません。

つまり、「倉廩実る」「衣食足りる」ための具体的な方法は、あなた自身の中にあるんですよ。ということです。

会社経営や家族関係についても「衣食足りて礼節を知る」と同じことを言うことができます

会社経営に上記の「管子」の牧民篇の一節を置き換えてみると…

会社の経営者は、いつも気を引き締めて会社を経営し、社員の生活を豊かにし続けなければならない。
経営がうまく行き、社員の生活が豊かになれば、自然に優秀な社員が集まってきて、そして、福利厚生も充実していればその社員は辞めないで働き続ける。
社員が豊かになれば、自然に社員の心が安定し、問題を起こす社員も少なくなるようになる。
そして、会社はさらに発展する。
これは当然のことである。
だから、会社の経営者は、いつも気を引き締めて会社を経営し、社員の生活を豊かにし続けなければならない。
ということになります。

社員に尊敬されるような経営者であること

  • 社員の生活を豊かにすること
  • 人間として尊敬される経営者であること

会社を永続させるためには、この2つのどちらも大切で、同時並行的に進めることとが必要です。

そして、当然ながら、社会に対して誠実であることも必要です。

家族関係に上記の「管子」の牧民篇の一節を置き換えてみると…

父母は、いつも仲良くし、家族のことを考え、家族の生活を豊かにし続けなければならない。
父母が仲良く、家族の生活が豊かになれば、自然に家族の団らんが増える。
父母が仲良く、家族の生活が豊かになれば、子供たちは、父母に対し尊敬の念を抱くようになり、礼儀や節度をわきまえたり、名誉や恥辱をわきまえたりするようになる。
これは当然のことである。
だから、父母は、いつも仲良くし、家族のことを考え、家族の生活を豊かにし続けなければならない。

ということになります。

夫婦仲良く、子供に尊敬されるような父母であること

  • 家族の生活を豊かにすること
  • 父母が仲良く、子供から尊敬されること

家族の生活を豊かにすることだけでは子供は素直に育ちません。

父母が仲良くして、子供が「父のようになりたい。」「母のようになりたい。」と思うような父母であることが大切です。

たとえ親の収入が高くて、子供に高い水準の教育を受けさせることができるとしても、夫婦の仲が悪く、家庭を顧みないようであれば、人間教育は不十分になってしまい、子供は、父母に対して尊敬の念を抱きにくく、素直に育ちません。

「衣食足りて礼節を知る」を言い訳にすることはあってはいけません

本来、衣食が足りなくても礼節をわきまえることは当然です

「衣食足りて礼節を知る」の由来となっている、管仲の言行録である「管子」の牧民篇に出てくる

凡有地牧民者、務在四時、守在倉廩。
國多財、則遠者來、地辟舉、則民留處。
倉廩實則知禮節、衣食足則知榮辱。

は、国を治める者や会社を経営する者は「こうあるべき」だという、国を治める者や会社を経営する者に対する言葉ですよね。

これは個々人にも言えることではあるかもしれません。

しかし、個々人のレベルでは、衣食が足りなくても礼節をわきまえることは当然です。

「衣食が足りないので、礼節も知らない」では笑い話にもなりません。

衣食足りれば足りるほどさらに礼節を知ることが必要になるのも当然です

富めば富むほど、慢心しないで学ぶことが必要だということです。