そもそも、なぜ劉備は孔明に会いにいったのか…
孔明は、その才能を認められていた
諸葛亮孔明は、徐庶も門下生として一緒に学んだ、司馬徽という天下に名を知られた人物鑑定家から「臥龍」と呼ばれるほどの評価を得ていたんです。
つまり、孔明は、その頃はまだ実績はないけど、司馬徽という先生から、将来的な才能を認められていたということなんです。
それでも、一般的な考え方としては、劉備が孔明を呼び寄せたとしても問題ないはずなんですが…
劉備は、まだまだ小さいとはいえ、何にもの武将を率いていた君主であり、しかも、劉備は、この時、45歳くらいだったといいます。
そして、一方、諸葛亮孔明は、才能を認められていたといっても、まだ無名で20歳そこそこだったといいます。
そう考えると、劉備が孔明を呼び寄せるというのが一般的な方法だといえるでしょうし、それで何も問題ないはずです。
劉備は、徐庶の忠告に従い、最善の方法を採用した
この頃、劉備のところにいた徐庶が自分よりも優れているとして諸葛亮孔明を推薦したそうです。
その際、劉備は、徐庶に「孔明をここに連れてきてほしい」といったそうですが、徐庶は「孔明は、会いに行けば会うことはできますが、連れてくることはできません。訪れるのがよろしいでしょう。」と言ったとのことです。
この時、劉備が置かれていた状況も影響しているかもしれませんが、劉備が部下や識者の忠告に耳を傾けることができる指導者だったということも言えるでしょう。
こういう経緯があり、劉備は孔明に会いにいくことになったのです
とりあえず1回目の訪問
劉備の城から諸葛亮孔明が住んでいるところは約20キロ程離れていたそうです。
約20キロという距離は、仮に歩いていくとすると約4時間、往復で8時間以上かかりそうな距離ではあります。
1回目に劉備が孔明を訪ねた時は、孔明の弟である諸葛均には会えましたが、「兄は友人のところに出かけていていつ戻るかわからない。」と言われます。
いつ戻るのかわからないのでのあれば、そのまま待っているわけにもいきませんので、劉備はやむなく城に戻ることにしました。
2回目の訪問は真冬だったそうです
劉備は「雪の日ならいるだろう」と考えて、真冬に孔明を訪ねましたが、この時も、弟の諸葛均が出て来て「兄は、たった今、出かけました。いつ戻るかわからない。」と言われます。
劉備は、やむなく、吹雪の中、城に戻ることになったそうです。
3回目に劉備が孔明を訪ねた時、孔明は昼寝中で、劉備は孔明が目覚めるまで待っていたそうです
こうして3回目の訪問で劉備はやっと諸葛亮孔明に会うことができたそうです。
三顧の礼には営業に活用できる秘訣がいっぱいあります
そもそも、三顧の礼は「紹介営業」なんです
実は、劉備は、徐庶から諸葛亮孔明を推薦される前に、司馬徽から「臥龍(孔明)」か「鳳雛(龐統)」の1人でも味方につけることができれば天下を取ることができるといって、孔明のことを聴いていたんです。
そして、その後、徐庶から司馬徽の門下生だった孔明を推薦された。
つまり、孔明は、先生である司馬徽と門下生だった徐庶から劉備を紹介されたのと同じなんですよね。
当然ながら、劉備は、1回目の訪問でも2回目の訪問でも、孔明の弟である諸葛均にこのことを話しているはずです。
そして、3回目の訪問の際にも、劉備は、直接、孔明にこのことを話したはずです。
孔明が司馬徽と徐庶を信頼していたのであれば、その2人からの紹介であれば、劉備との面会を無下に断ったりはしないはずです。
相手にとって大切な人を紹介してもらうためには、自分自身もそに相手に等しいくらいの人間でなければならない
紹介をしてくれる人(三顧の礼では司馬徽と徐庶)にとって、劉備と諸葛亮孔明に対する責任のようなものが発生してしまいますので、劉備を孔明に(孔明を劉備に)紹介するというのは簡単ではありません。
そういう意味では、劉備も孔明も紹介するに相応しい人間性と才能を持っていたということですよね。
紹介をしてもらうためには、そもそも自分自身が紹介してもらうに相応しい人間性と才能を持っていなければならないということをしっかり押さえておかなければいけません。
三顧の礼は「単純接触効果」も発揮されたのかもしれません
もちろん、諸葛亮孔明という大軍師ですので、こんな簡単なことではありませんが、三顧の礼は、紹介営業や単純接触効果など、営業に活かせるポイントがいくつもあります。
もしかすると、そもそも1回目で話を聴いてもらってすぐに契約できると思っているほうがおかしいのかもしれません
テレアポでも、飛び込み営業でも、話も聞かないで断られるのがほとんどですよね。
でも、よく考えてみると、そもそも、(営業でなくても)趣味のサークルや習い事でも、初めて会った人と話をすることは簡単ではないんですよね。
お互いに少し「ガード」しているというか、逆に「(話しかけないように)相手に少し気を遣っている」というか、多かれ少なかれ何かそういうところがあるんですよね。
でも、何度か顔を合わせていくうちに少し話すようになって、相手のことを「実は良い人だったんだ~」と思うことがあります。
実際にそういう経験ってありませんか?
営業でも同じなんです。
劉備は孔明に会えるまで会いに行ったんです
劉備が諸葛亮孔明に会いにいった時、1回目も2回目も孔明は留守でした。
もしかすると居留守だったのかもしれません。
よく考えてみると(ポジティブに考えてみると)、居留守というのは、断られているのではなく、「熱意や本気度を試されている」と考えることができますよね。
そして、劉備は、実はそのことに気付いていたのかもしれません。
いずれにしても、劉備は、孔明に会えるまで会いにいった。
だから、孔明を味方につけることができた。
紹介営業にもかかわらず、劉備でも3回も会いにいった。
しかも、孔明も、紹介営業にもかかわらず3回目の訪問でやっと劉備と面会した。
ということは、(もちろん、強く断られているなどの状況は見極めなければいけませんが)テレアポや営業で1回や2回話を聴いてもらえなかったからといって諦めていてはダメだということかもしれませんね。
完全に断られない限りチャンスはある
紹介営業ではあるけれど、劉備は、あらかじめ徐庶から「諸葛亮孔明は一筋縄にはいかない人物である。」という忠告を受けていました。
こういう人物の場合、会えないことよりも、断られることに細心の注意をしなければいけません。
「断られない限りチャンスはある。」
劉備はそのことがわかっていたのかもしれません。
だからこそ、劉備は、3回も孔明に会いにいった。
そして、三顧の礼によって孔明を味方につけることができた。
種をまき、水をやり、そして花を咲かせる
敏腕営業マンの方からは「甘い」といわれるかもしれませんが、単純接触効果を考えると、1回目や2回目で話をしっかり聴いてもらえると考えるのもおかしいとも言えるかもしれません。
もし、あなたも同じようにお考えであれば、三顧の礼に従った営業方法を試してみてもいいのかもしれません。
あらかじめ相手のことを知り、相手の価値観に合わせた方法を選ぶからうまく行く
劉備は、徐庶から「孔明は、会いに行けば会うことはできますが、連れてくることはできません。訪れるのがよろしいでしょう。」という情報を得ていました。
そして、それに従っただけなんです。
これは、「相手の置かれている状況や相手の価値観を知り、それに合わせた解決方法を採用した」ということです。
実はたったそれだけのことなんです。
こちらから出向かなければ会えない人を呼びつけたとして会える可能性がどれくらいあるのか
仮にその人が出向いてくれたとして話し合いがうまく行く可能性がどれくらいあるのか
少し考えると簡単にわかることなんです。
劉備はコーチングやカウンセリングの能力に長けていた
劉備は、三国志に登場する武将の中で、人徳が高い武将のひとりとして有名です。
- 自分の価値観を無理に押し付けないこと
- 相手の価値観に合わせること
だから、劉備は、徐庶の忠告を素直に受け入れ、孔明を呼びつけずに3回も会いにいったんです。
相手の話をしっかり聴く。
実は、これはコーチングやカウンセリングの基本です。
そういう意味では、劉備はコーチングやカウンセリングの能力に長けていたと言えると思われます。
以上、三顧の礼を、紹介営業、単純接触効果やコーチングなどの側面から考えてみました
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