巧言令色のようにも振る舞える剛毅木訥な人ってすごく魅力的ですよね

巧言令色とは…

巧言令色とは、相手に気に入られるように、巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりすることをいいます。

一般的に、巧言令色という言葉はあまりいいイメージの言葉ではありません

巧言令色という言葉のイメージ
一般的に、巧言令色という言葉は、実際にはそれほどの能力や実力がないにもかかわらず

  • 相手にうまく取り入ったり、相手をうまく動かしたりする
  • 口だけ…、愛想だけ…

というイメージで、あまり良い意味の言葉ではありませんよね。

「八方美人」という言葉に近いイメージでしょうか…

いずれにしても、あまり良いイメージの言葉ではありません。

論語には「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょく すくなしじん)」という一節があります

巧言令色鮮し仁とは…
巧言令色鮮し仁とは「相手に気に入られるように巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりする者には、誠実な人間が少なく、他人を思いやる仁の心が欠けている。」という意味です。

巧言令色(相手に気に入られるように巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりすること)はあまりよくありませんよということなんですよね。

今も昔も変わりません。

そういう人は昔からいたようですし、今もいます。

実は、論語には「剛毅木訥仁に近し(ごうきぼくとつ じんにちかし)という一節もあります

剛毅木訥仁に近し…
剛毅木訥仁に近しとは、「意思が強くて簡単にへこたれない、素朴で飾り気がなく、口数が少ない者が、仁に最も近い。」という意味です。
  • 巧言令色は、相手に気に入られるように巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりすること
  • 剛毅木訥は、意思が強くて簡単にへこたれない、素朴で飾り気がなく、口数が少ないこと

一般的に、巧言令色よりも剛毅木訥のほうが良いと考えられているのではないかと思われますが、社会で生きていくには、巧言令色「的」なところも必要ではないでしょうか?

巧言令色には良い点もいっぱいあるんですよね(細かいことまで書きませんが…)

一定のコミュニケーション能力を持っている

巧言令色とは、「相手に気に入られるように、巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりすること」をいいます。

実際のところ、「相手に気に入られるように」するためには、相手のことをよく見て、相手の良いところを見つけることが必要です。

この点は決して良くないことではないと思われます。

「巧みに飾られた言葉」という、「巧みに」というのは、巧言令色という言葉があまりよいイメージの言葉ではないというところを表現しているのだと思いますが、でも、そもそも「巧み」という言葉は悪いイメージの言葉ではありません。

もちろん、巧言令色が過ぎると良くはないのでしょうが、でも、巧言令色は、ある意味、スキルのひとつだったりするのではないかと思われます。

相手の意見に合わせることができる

相手が「A」だと言っているのに、「Bですよ!」というのは、自分の意見を言うということでは正しいのかもしれませんが、会社や仕事など、社会で生きるうえでは、相手の意見や価値観を尊重することも大切ではあると思われますので、(自分の本音とは違ったとしても)愛想よく、相手の意見に合わせることができることは、社会で生きていくうえでは大切ではあると思われます。

また、「相手に気に入られるように」というところも、巧言令色という言葉があまりよいイメージの言葉ではない理由のひとつだと思われますが、よく考えてみると、「相手に気に入られるように」ということまでは必要ないにしても、社会においては「相手に嫌われないように」というのは必要ではあると思われます。

何でも素直に振る舞うのが良いとは限りません。

愛想よく振る舞うことができる

「愛想よく振る舞う」ことは、本当はそれほど簡単なことではありません。

同じ言葉でも、笑顔で言う場合と、そうではない場合とでは、相手が受ける印象が異なります。

相手に気にいられるためでなくても、例えば、朝の挨拶くらいは、愛想よくするほうが良いのも事実ではないでしょうか…

でも、なぜ巧言令色はあまり良くないと考えられているのでしょうか…?

本当は、能力や実力がないのに…

巧言令色というのは、本当は、能力や実力がないのに、飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりして、うまく取り入ろうとしていること。

つまり、本当の実力以上に自分自身を見せようとしているというイメージなんですよね。

もちろん、無いものを有るように見せるのは良くないですが、同じものでも、それをどのように見せるのか、どういう「見せ方」をするのかということは非常に大切ではあります。

相手によって態度を変える

巧言令色というのは、「相手に気に入られるように」巧みに飾られた言葉を言ったり、愛想よく振る舞ったりすることですので、ややもすれば、相手によって態度を変えてしまうところがあるのかもしれません。

でも、よく考えてみると、会社やお店のサービスも同じで、常連客や上得意客に対するサービスは変わりますから、相手によって態度が変わるのも仕方がないことかもしれません。

もちろん、相手によって態度が違いすぎて、巧言令色が目立ち過ぎるのは良くありませんが…

剛毅木訥がすべての場面において絶対的に良いとは限りません

剛毅木訥も巧言令色もどちらも「過ぎない」ことが大切です

今の時代では、コミュニケーション講座のようなものもあるようですので、コミュニケーション能力は必要な能力のひとつだとされています。

剛毅木訥も過ぎると、まったく融通の利かないただの無口な頑固者だと思われてしまう可能性があるのも事実です。

そう考えると、剛毅木訥と巧言令色、どちらが良いと言われると、今の時代では、剛毅木訥のほうが絶対に良いとも言い切れないと思われます。

どちらも大切なんです。

まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということですが、どちらかに過度に偏りすぎるのはあまり良くないということは言えるでしょう。

自分よがりの剛毅木訥も良いとは言えない

剛毅木訥仁に近し。

そもそも、仁とは、他者に対する思いやりの心や優しさのことだと考えられていますが、剛毅木訥も、度が過ぎると、ただの無口な頑固者になりかねません。

自分よがりの剛毅木訥は仁ではないということです。

そもそも、それは剛毅木訥のようかもしれませんが、剛毅木訥ではありません。

剛毅木訥をベースにして、巧言令色「的」、巧言令色「風」に振る舞うことも大切です

世の中が巧言令色的なところがほとんどない「意思が強くて簡単にへこたれない、素朴で飾り気がなく、口数が少ない」人ばかりになれば本当に素晴らしい世の中になるのかと言われると少し疑問が残るの事実です。

そういう意味では、潤滑油として巧言令色も少しは必要だと思われます。

論語的にいうと、剛毅木訥が仁に近いということですので、剛毅木訥をベースにして、状況に応じて、巧言令色「的」、巧言令色「風」に振る舞うことができればいいのではないかと思われます。

信念は剛毅木訥、言動や振る舞いは、巧言令色「的」な剛毅木訥。

今の世の中では、多少の巧言令色的なことも必要ではないかと思われます。