そもそも八方美人とは…
八方美人とは、「誰に対しても、愛想良く、気が利いてるように振る舞うこと」を言います。
八方美人という言葉は、「ただ誰にも嫌われたくないだけ」とか、「本当は何を考えているかわからない」とか、どちらかと言うと、非難の気持ちを込めて使うことが多いんですよね…
確かに、「誰に対しても」、愛想良く、気が利いてる「ように振る舞うこと」ということは良い表現ではありません。
むしろ、皮肉的な表現ですよね。
でも、八方美人的じゃないと、会社や社会では生きていけないんじゃない?
実は、私は、八方美人とはまったく逆の性格で、社会性はかなり低いほうの人間です。
唯我独尊と皮肉を言われるような人間でもあるくらいです(実は、唯我独尊とは皮肉に使う言葉ではないのですが…)。
そんな、八方美人とは真逆の人間である私は、八方美人はそれほど悪いことではないのではないか…と考えているんです。
もちろん、どんなことでも良い点と良くない点の両方があるので、八方美人が全面的に良いとか、良くないというわけではありません。
でも、八方美人のほうがうまく行くことも多いのではないか…と考えているんです。
八方美人には良い点がいっぱいあるんですよね(細かいことまで書きませんが…)
ある一定のコミュニケーション能力がある
「誰に対しても、愛想良く、気が利いてるように振る舞うこと」ができるということは、誰とでもある程度のコミュニケーションを取ることができるということですよね?
自分から話し掛けたり、相手から話し掛けられるとそれなりに対応することができることは非常に大切だと思います。
しかも、明るく愛想良く振る舞うことができるのであれば、それは決して悪いことではないですよね?
でも、誰にでも明るく愛想良く振る舞うことは、悪く言うと、誰にでも愛想を振りまいていると捉えることもできますので、そういうところが八方美人が嫌われる点でもあるのかもしれません。
でも、本当は、誰にでも明るく愛想良く振る舞うことができるのはすごく素晴らしいことだと思います。
相手の意見に合わせることができる
会社などの組織においては、もちろん、自分の意見を言うことも大切ですが、会社の方針や上司の意見などに従うことも大切です。
また、人間関係においても同じで、自分の意見を言うことも大切ですが、やはり、相手の意見に合わせることは非常に重要です。
相手の意見に合わせることは、悪く言うと、「自分の意見を言うことができない」「本当は何を考えているかわからない」と捉えることもできますので、そういうところが八方美人が嫌われる点でもあるのかもしれません。
でも、本当は、愛想良く相手の意見に合わせることが潤滑油的な役割を果たすことも多いのも事実ですし、自分の意見を言うことが摩擦を生んでしまうことがあるのでも事実です。
どちらが良くて、どちらが良くないということではありません。
ただ、ひとつ言えることは、「沈黙は金」という言葉があるように、自分の意見を言うべき時でない時には言うべきではないというのも事実です。
気の利いた振る舞いができる
もちろん、内心でどう考えているかということは大切です。
内心に従って行動することも大切です。
確かに、気が利いてるように振る舞うことは、悪く言うと、「あざとい」「本当は何を考えているかわからない」と捉えることもできますので、そういうところが八方美人が嫌われる点でもあるのかもしれません。
でも、会社や社会では、内心がどうであれ、気が利いてるように振る舞うことができることは非常に重要ではあるんです。
もし多くの人が内心に従って行動すれば、毎日のように、いろんなところで摩擦や衝突が起きてしまうわけですが、実際にはそういうことはあまり起こりません。
なぜなら、会社や社会では、多くの人が、多かれ少なかれ、八方美人的な振る舞いをしているからなんです。
だから、会社や社会では、多かれ少なかれ、八方美人的な振る舞いをすることは必要だということは事実だと思うんです。
でも、なぜ八方美人は批判的に捉えられるのでしょうか…?
八方美人度が強すぎることは良くない
もちろん、自分の意思や意見を持つことは大切です。
でも、逆に、自分の意思や意見を外に表現しすぎることは良くないこともあります。
そういう意味では、会社や社会では、八方美人的であるほうがうまく行くことが多いのではないかと思われます。
- 自分の意思や意見を外に表現しすぎることも良くない
- 八方美人度が強すぎるのも良くない
ということです。
相手によって「八方美人度」と「質」に差があることもよくない
本当に「誰にでも、愛想良く、気が利いてるように振る舞う」のであればいいのでしょうが、実際にはこれはなかなか難しいですよね。
だから、どうしても、八方美人を発揮する対象や、対象によって八方美人の程度や質に差が出てしまうんです。
だって、会社やお店のサービスも同じで、常連客や上得意客に対するサービスは変わりますから…
でも、相手によって、八方美人度を変えることも含めて、八方美人というのは批判的に捉えられることが多いんですよね。
でも、本当は、これも仕方がないことではあるのですが…
八方美人が心の要素も取り入れるとさらに良くなります
八面玲瓏という、八方美人の対義語(反対の意味の言葉)があるんです
- 心が清らかで、何のわだかまりもないこと
- どの方面から見ても曇りなく明るいさま
という意味なんです。
つまり、「八面玲瓏」は完璧に近い状態ですよね。
八方美人の対義語となる明確な言葉はないみたいですが、あえて挙げるとすると、八面玲瓏だそうです。
つまり、八方美人は、影の部分を指摘されている言葉なんですよね
「誰に対しても、愛想良く、気が利いてるように振る舞うこと」を意味する八方美人という言葉は、その振る舞いに心が伴っていないということなんですよね。
- 清らかな心になれよ
- 何のわだかまりもなくせよ
- どこから見ても曇りをなくせよ
つまり「完璧になれよ」と…
だからこそ、八方美人の反対の意味は、心も伴っていて曇りもないという、八面玲瓏という言葉になるんです。
じゃあ、八方美人が「心の要素」も取り入れるとさらに良くなるんじゃないですか?
- ある一定のコミュニケーション能力がある
- 相手の意見に合わせることができる
- 気の利いた振る舞いができる
わけですから、本来であれば、それほど批判されることもないかもしれません。
ということは、八方美人の人が八面玲瓏を意識すると、さらに良くなるということです。
八面玲瓏にたどり着くにはひとつのルートだけでなく、いくつものルートがあるはずなんです
- 振る舞いに心が伴う
- 心に振る舞いが伴う
そう考えると、八方美人は、八面玲瓏への通過点だと考えることができると思うんです
人は常に変化していくものです。
八方美人と言われる状態は、ただ、今のところは、振る舞いが優先してしまっているだけなのかもしれません。
八方美人と感じるかどうかは、そう言われる本人の問題ではなく、その周りの人の問題なんです
誰でも、どんなことでも、良い部分と良くない部分(光の部分と影の部分)があるんですよね
- 光が弱ければ、目立つこともないので、影の部分を指摘されることもない
- でも、光が強くなれば、逆に影も濃くなるので、それが指摘や批判の対象になりやすくなる
そして、同じ振る舞いでも、それを感じる人によって、感じ方が異なります
- 光の部分を捉えるか
- 影の部分を捉えるか
が異なります。
もちろん、どちらが良いということではありません。
同じ振る舞いでも、それを感じる人によって、感じ方が異なることがあるという、感じ方の問題もあるということも事実です。
もちろん、多かれ少なかれ、その本人に八方美人の要素があるとしても、結局のところ、その本人が「私、八方美人なの」と言っているのではなく、周りの人がそう言っているだけなんです。
八方美人が良いとか、悪いとか、言う前に、自分のことも顧みることも必要ですね
自分自身も気を付けたいと思います。
以上、八方美人についてでした。
この記事を書いたのは…
行政書士事務所/社会保険労務士事務所 ビジョン&パートナーズ
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備一ビル501号室
代表 高瀬満成(行政書士.社会保険労務士)