お釈迦さんの教え(ブッダの教え)に「四諦(したい)」というものがあります
仏教というより、哲学的、心理学なものとして読んでいただければと思います。
「諦」とは「諦める(あきらめる)」ということではなく、「真理を悟る」という意味の言葉です
つまり、四諦とは、4つの悟りを意味します。
- 苦諦(くたい)
- 集諦(じったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
のことを言います。
苦諦(くたい)とは…
苦諦とは、「人生はすべてが苦である」という悟りのことをいいます
そもそも、人生とはうまくいかないものなんです。
そして、お釈迦さんは、苦には「8つの苦(四苦八苦)」があると言っています。
つまり、人の一生は苦だということです。
お釈迦さんは「生まれること」ですら「苦」だと言っているんですね…
- 愛別離苦(あいべつりく)
愛する対象と別れること - 怨憎会苦(おんぞうえく)
憎む対象に出会うこと - 求不得苦(ぐふとっく)
求めても得られないこと - 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
五蘊(身体と心理作用)に執着すること
をいいます。
これらを合わせて、四苦八苦といいます。
「そもそも、人生とは、うまくいかない(自分の思い通りにならない)ことばかりなんだよ」ということです。
人生がうまくいかない(自分の思い通りにならない)のは、多かれ少なかれ、みんな同じなんです。
集諦(じったい)とは…
集諦とは、「苦の原因は、自己の欲望、煩悩、執着である」という悟りのことをいいます
うまくいかない(自分の思い通りにならない)ことを「苦」だと感じるのは、自分自身に「欲望、煩悩、執着があるから」だということです。
つまり、生きることは、ただでさえ、四苦八苦の苦があるにもかかわらず、自分自身の欲望、煩悩、執着がさらに自分自身を苦しめているんだということです。
人に夢や願望があることは仕方がありません。
さすがに、これをすべて捨てるのは無理があるでしょう。
でも、「限りのない欲望、煩悩、執着」は、自分を苦しめてしまう原因になりかねません
例えば「試験で5つの教科すべて100点を取る」という目標に向けて努力することは素晴らしいことです。
しかし、仮に「4つが100点、残りの1つが99点」であれば、本当はすごく素晴らしいことなのに、たった1点のことに苦しむかもしれません。
これは、「自分自身が自分自身を苦しめている」ということに他なりません。
でも、本当は、それほど苦しむことではないのかもしれません。
自分自身で自分自身を苦しめてはいないでしょうか?
滅諦(めったい)とは…
滅諦とは、「苦の原因である欲望、煩悩、執着を滅することができれば、あらゆる苦悩が消滅して、心が軽くなる」という悟りのことをいいます
つまり、苦から逃れようとして何もしないのではなく、「心の持ち方や考え方を変える」ことができれば、あらゆる苦悩が消滅して「心が軽くなる」ということです。
そもそも、欲望、煩悩、執着には限りないというところもあります。
ひとつを手に入れると、さらに他のものを手に入れたいと思ってしまったり、もっともっとと思ってしまうところもあります。
しかし、それでは際限がありません。
両手に余るほどのものを持っているのに、まだまだ手に入れたいと思って手に入れようとする。
そして、それが手に入らなければ、そのことに苦しむ。
これが苦の原因です。
つまり、「足るを知る」ことによって自分の心が軽くなることもあるということなんです。
道諦(どうたい)とは…
滅道諦とは、「この悟りの境地に達する実践法が八正道(8つの正しい生活態度)である」という悟りのことをいいます
- 正見(しょうけん)
自己中心的な思い込みや主観的に物事を見ないで、あるがままに、本質を見ること - 正思惟(しょうしゆい)
自己中心的な考え方をしない、自己中心的な心を持たないこと - 正語(しょうご)
禍の元となるような「口の四悪」を行わないこと- 妄語(嘘をつく)
- 両舌(他人を仲違いさせるようなことを言う、二枚舌)
- 悪口(乱暴な言葉を使う、悪口を言う)
- 綺語(口から出任せのいいかげんなことを言う)
- 正業(しょうぎょう)
本能に任せるままの行い「身の三悪」ではなく、正しい行いをすること- 殺生(むやみに生き物の生命を絶つこと)
- 偸盗(人の物を盗むこと)
- 邪淫(社会道徳に反する性的関係を持つこと)
- 正命(しょうみょう)
道徳に反したり、世の中の為にならないような仕事はせず、正当なことをして生活の糧を得ること - 正精進(しょうしょうじん)
自分に与えられた使命や目的に対して、とらわれ過ぎたり偏ったりしないで、正しく、一途に努力し続けること - 正念(しょうねん)
本質や真理を求めようとすること、本質や真理に気付こうとすること - 正定(しょうじょう)
心が安定した迷いのない状態にすること
多くを望み過ぎず、八正道に従って、こういう生き方をすること、ただ、それでいいんじゃないか…ということだと思うんです。
お釈迦さんの教え(ブッダの教え)に「諸行無常」というのもあるんです
諸行無常とは、この世のすべては、一切は常に変化していて、変わらないものはないという意味の言葉です
今、あなたは、自分の人生がうまくいかないと思っているかもしれません。
でも、それは、一瞬のことであり、これから先もずっとその状態が続くとは限りません。
また、逆に、良い状態もずっと続くわけではありません。
この世のすべては、一切は常に変化していて、変わらないものはありません。
人生にはどうしても、うまく行っている時と、うまくいかない時があるんです
だからこそ、うまく行っている時も、うまくいかない時も、ずっと同じように生きていくことが大切なんだということです。
そうすると、うまく行っている時と、うまくいかない時の振れ幅が小さくなっていくはずです。
うまくいかないのではなく、本当は「幸せの種の見つけ方」の問題なんじゃないかと思うんです
菜根譚という中国古典に「衰颯的景象、就在盛満中。 発生的機緘、即在零落内。故君子、居安宜操一心以慮患、処変当堅百忍以図成。」という言葉があります
「すいさつのけいしょうは、すなわちせいまんなかにあり、はっせいのきかんは、すなわちれいらくうちにある。ゆえに、くんしはやすきにおりて、よろしくいっしんをとり、もってうれいをおもんぱかり、へんにおりてまさしくはくにんをかたくしてもってなるをはかるべし。」と読みます。
この言葉の意味は、「衰えの兆しは最も盛んな時にある。新しい芽生えの働きは葉の落ちつくした時にある。だから、うまく行っている時は心を一つにして、万が一の時に備えるべきであり、うまくいかない時には、じっと忍耐して乗り切るべきだ」ということです。
そして、今は、気付かなくても、めげず、腐らず、自分の人生を生きていくと、幸せの種が少しずつ大きくなって、芽が出て、花が開くはずです。
過去を思わず、未来を願わず、ただ、今を自分らしく生きる
過去を思い、未来を願うから、苦しくなる
過去を追うな。未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。
だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、
揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
これもお釈迦さんの言葉です。
だからこそ、うまくいかない過去を思ったり、うまく行くように未来を思うのではなく、ただ、今を生きることが大切なんです。
お願い
私は僧侶でも仏教学者でもありませんので、四諦や諸行無常について本当の意味の解釈とは違っているところもあると思いますが、ご寛容のほどお願い申し上げます。